ノッティングヒルといえば恋人…?
いえいえ、ノッティングヒルといえばノッティングヒルカーニバルが最高にオススメです!
街中に響きわたる多種多様な音楽に豪華でド派手なダンスパレード、見上げるようなスピーカーの山に頬っぺも落ちそうな屋台のカリビアンフード…軽快なリズムに乗りながらぐるりと辺りを見渡せば、ストリートはあふれんばかりの人、人、人!
今回はヨーロッパ最大のお祭り「ノッティングヒルカーニバルの起源、由来、歴史、楽しみ方」をじっくりとご説明いたします。
気になるお祭り好きな人はこの続きもチェゲラッ!
Contents
ノッティングヒルカーニバルとは?
8月最後の週のイギリスの祝日「バンク・ホリデー」にロンドン西部ノッティングヒルでは毎年100万人規模のストリートカーニバルが盛大に開催されています。
カーニバルの間ノッティングヒルのストリートには、奇抜で斬新なメイクやコスチュームの踊り子たちが次々と切れ間なく現れ、あちこちに点在する壁のようなスピーカーからは、地獄の蓋が開いたような爆音がこれでもか、これでもかと豪快に響き渡ります。
自然と体が動き出すような低音の効いたレゲエや、軽快なカリビアンミュージックが街の至る所で流れ続け、警備している警官まで踊り出すのを目撃した時には目の前のことが夢か現実かわからなくなるかもしれません。
ストリートで行われるパレードは、トラックの荷台に高く積まれた移動型サウンドシステムの後を追って大勢の踊り子や山車が賑やかに踊り歩くものですが、参加者のグルーヴ感は素晴らしく、それは遠目から見ていても圧巻です。
こうして2日間カーニバルは派手に盛り上がり続けるのですが、私個人の見所はストリートにズラリと並んだ巨大なサウンドシステムです!
なんと2017年はストリートに37箇所もサウンドシステムが登場したそうで、10月に日本へ来日したばかりの「UK Channel One」もヤバめなサウンドシステムと共に今年もカーニバルに出演していました。
多くのサウンドシステムが並ぶ中で、中でも一段と目を引くのはやはり断トツでUNIVERSITY DUB /Aba Shanti- Iでしょう。
一部DUBマニアの間では、ノッティングヒルカーニバルといえばABAといっても過言ではありません。近いうちにぜひ私も全力でABAで暴れたいものです。
ノッティングヒルカーニバルの起源(どうしてはじまった?)
約60年前のノッティングヒルは現在の高級なイメージとは異なり、カリブ諸島から移り住んだ移民や低所得者が多く集まる俗に言う貧困地区でした。
当時のノッティングヒルは人種差別が大きな社会問題となっており、いよいよ1958年には地元市民と政府の間で大きな暴動が勃発、暴動の翌年に女性活動家クラウディア・ジョーンズが屋内で音楽イベントを開催したところ、政府がこのイベントに注目、市民からのイメージ回復を図るべくして政府はこの音楽イベントを支援し始め、それが後に今の「ノッティングヒルカーニバル」へと姿を変えていきました。
昔イギリスの植民地だったトリニダード島・トバゴ島では、奴隷制度廃止になった19世紀前半から始まった奴隷解放を祝するパーティー「トリニダード・トバゴ」を恒例化、現在も続いている「トリニダード・トバゴ」は世界有数の大きなカーニバルとなっていますが、トリニダード島出身のクラウディア・ジョーンズの思想がノッティングヒルカーニバルの誕生に深く関わっていたことは間違いないでしょう。
ノッティングヒルカーニバルの由来(たどってきた道のりは?)
クラウディア・ジョーンズが提案した音楽イベントを皮切りにノッティングヒルでは、当時のヒッピー文化も融合して毎年盛大にカーニバルが開催されていました。
さらに1964年ノッティングヒルへロンドン/アールズ・コートのストリートミュージシャンを呼び寄せると、彼らの演奏を一目見ようとカリブ諸島の移民達が一斉に押し寄せて会場は押すな押すなの大盛況に…!
カーニバルの規模が一段と大きくなったその翌年、町の学校の鼓笛隊が登場してプロのスティールパンバンドと共に派手にストリートを練り歩きました。
その年を境にストリートでは大きなパレードが始まるようになりましたが、当時の鼓笛隊の名前はなんと「HIPPIE」だったそうな、、、思わず吹き出してしまいましたが、実際にあったお話です。
Claudia Jones: Mother of Carnival. Info from @bcaheritage.
#BlackHistoryMonth #Carnival #NottingHillCarnival #BlackHistoryMonthRapport pic.twitter.com/OMG9AzTxcn— Rapport Festival (@RapportFestival) October 3, 2017
ノッティングヒルカーニバルの歴史(何が起こったの?)
1959年 活動家クラウディア・ジョーンズが政府支援の音楽イベントを開催
1964年 アールズ・コートのミュージシャンが派遣されライブ大盛況
1965年 鼓笛隊とスティールパンバンドがストリートでパレードを開始
1973年 巨大なサウンドシステムがパレードに登場しはじめる
カーニバルが栄えると共に暴動も徐々に沈静化していきましたが、盛大なカーニバルも暴動や窃盗の温床になり、一時は緊張するような場面もあったようです。
現在の状況は平和な様子で警官も厳しく「踊りながら」カーニバルの平和を守っています。
つい最近では2017年6月に高層住宅「グレンフェルタワー」で大規模な火災が発生、多くの市民が哀しみに包まれましたが、ロンドン市長/サディク・カーク氏がカーニバルの場所変更を提案したところ、市民から猛反発を受け今年も同地域で開催されました。
カーニバル中は追悼として一分間の黙祷を行い、「Green for Grenfell」とグレンフェルタワーを象徴した緑色の服を着て犠牲者を偲ぶ人々も多く見受けられました。
ノッティングヒルカーニバルの楽しみ方
Great article about the evolution of the sound system at #nottinghillcarnival http://t.co/7u01eG1QVk pic.twitter.com/xKzmDkd5hd
— Festival For You (@FestivalForYou) September 5, 2015
普段は閑静な高級住宅街のノッティングヒルですが、カーニバル開催中は街中のあちこちで様々な音楽が大音量で流れます。
レゲエ、カリビアンミュージック、ヒップホップ、ドラムンベース、テクノ、ハウス…ストリートに設営された各ブースで洗練されたDJ達がご機嫌な音楽を大音量でプレイしていますので、ここは恥ずかしがらずに思いきり踊っちゃいましょう!
ダンシングポリスも有名なノッティングヒルカーニバルは、踊ることが一番のアトラクションです。
見上げるようなスピーカーの壁から発せられる大地を揺るがす激しい音圧、それを全身全霊で感じるのがレゲエ独特のサウンドシステム文化です。
レゲエの発祥はカリブ諸島のジャマイカですが、重厚で刺激的なレゲエサウンドシステム文化は新たなジャンルとしてヨーロッパでも急速に広がっていきました。
その勢いは日本にも届いていますが、国内で爆音を思いきり鳴らせられる場所はそう多くなく、ノッティングヒルカーニバルのようにストリートに数十箇所もサウンドシステムが並ぶようなお祭りは、日本では皆無といっても過言ではないでしょう。
Channel One en el Notting Hill Carnival de Londres en 1983. pic.twitter.com/D6EJwvJTE7
— don_alirio (@don_alirio) October 14, 2017
もちろん見所はサウンドシステムだけではありません。
派手で奇抜な踊り子チームとフロート(山車)が次々に踊り歩くストリートパレードは世界屈指のカーニバルそのものズバリです!
陽気で軽快なリズムに合わせてみんなで一緒に踊れば、現実を忘れて盛り上がれること200%間違いなし!
踊ってお腹が空いたら屋台に並ぶ本格的なカリビアンフードをつまみに冷えたビールを飲むのがおすすめですが、ノッティングヒルはトイレの数が少ないのでトイレの場所を確認しておくとよいでしょう。
カフェなどは混み合って長蛇の列という場合もありますが、有料の「カプセル式仮設トイレ」がポートベローロード沿いにも設置されていますので、見つけた際はぜひトイレを済ませておきましょう。仮設トイレはペーパー切れの時も多いのでティッシュもお忘れなく。
ノッティングヒルカーニバル/まとめ
今やヨーロッパ最大級のお祭りとなったノッティングヒルカーニバルですが、その背景には「人種差別」という重苦しい社会問題が深く関わっていました。
音楽は人を差別せず、誰にでも平等です。音楽を通じて人種の壁をなくそうとしたノッティングヒルカーニバルは、きっとこれからも成長し続け、ますます繁栄していくことでしょう。
そうそう、ひとつ言いそびれましたが、なんとノッティングヒルカーニバルは入場無料です。
お財布の中身と肌の色を気にせず爆音で踊り明かせるなんて、まるで天国みたい…!
皆様も一緒にノッティングヒルカーニバルで踊りませんか?一足お先に天国でお待ちしています。
Notting Hill Carnival Official Website
Notting Hill Carnival 公式Twitter
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